技法が不要になる介護へ
ユマニチュードを題材にした映画ができたらしい、とテレビで小耳にはさみました。作品名までは聞きとれなかったのですが、その「美談として広まる」気配のほうに、ひとつ引っかかるものがありました。これは、ユマニチュードという技法を否定するための文章ではありません。むしろその技法が問いかけているものを、技法の手前まで遡って考えてみたい、という覚え書きです。
「いったん奪って、技術で返す」という構造
ユマニチュードは、「あなたは大切な存在だ」というメッセージを、見る・話す・触れる・立つという四つの柱で伝える技法です。その思想の根は「人間らしさ(humanitude)を最期まで保証する」ことにあり、本来は、人がどこで暮らすかではなく、どう関わられるかを問う哲学だと思います。
それでも、ひとつの矛盾が残ります。認知症の人を施設に隔離したうえで、その人に「あなたを尊重します」と語りかける。関わりの作法だけを切り出して、その人をそこへ引き剥がした環境の暴力性を不問にするなら、ケアの作法は、収容を正当化する装飾になりかねません。「丁寧に扱われているのだから問題ない」という語りは、本人がその場所を選んでいないという事実を、そっと覆い隠してしまいます。
施設は、まずその人の生活史の連続性を断ち切ります。断ち切ったうえで、技法によって人間らしさを部分的に再供給する。違和感の正体は、この「いったん奪って、技術で返す」という構造にあるのではないでしょうか。

順序が逆である
だとすれば、問うべき順序は逆になります。技法より先に問うべきは、「どこで、誰とともに最期まで在れるか」という場の設計のほうです。
まず社会が、終生在宅を支える仕組み──二十四時間の訪問体制、レスパイト、介護者支援、看取りまでの医療──を基盤として整える。そのうえで、それでも在宅が難しい人のために、地域に開かれた施設を用意する。出入りが自由で、近所の人が立ち寄り、子どもや動物が行き交い、本人が街の一員であり続けられる場。富山型デイや宅老所、海外でいえばオランダのホグウェイのような「認知症の人が暮らす街」が、その方向のひとつの形なのだと思います。
閉鎖と開放を分けるのは、ケアの質以前に、その人が社会から切り離されるか否かという、もっと根本的な線引きです。そして大事なのは──地域には、すでに尊厳とやさしさがあるということです。隣人が名前を呼ぶ、馴染みの道、仏壇、縁側に座る習慣。そうした生活史の連続性そのものが、技法化される以前から、その人を「その人」として支えています。尊厳は専門職が技術で注入するものではなく、関係の蓄積として、もうそこにあるのです。
疎外感を生むのは、隔離であって介護ではない
在宅がどうしても難しい人でも、地域に開かれた「自宅のような」施設であれば、本人は疎外感を抱かずに済みます。
ここでいう「自宅のような」とは、内装の再現ではありません。自宅が自宅であることの本質──自分がそこにいてよい場所であり、自分の歴史が続いている場所であり、外の世界とつながっている場所である、という三つの連続性が保たれているかどうかです。疎外感は隔離が生むのであって、介護が必要であること自体が生むのではありません。
これは認知症の人にとって、とりわけ切実です。新しい場所への適応が難しいぶん、連続性が断たれた瞬間の「ここはどこか、なぜ自分はここにいるのか」という不安が、そのまま行動・心理症状として現れます。逆に、連続性が保たれていれば、症状とされるものの少なからぬ部分が、そもそも立ち上がらずに済みます。技法で鎮める前に、環境が症状を生まない。これもまた、順序の話なのだと思います。
同じ人の同じ姿が、隔離された場では管理対象になり、開かれた場では「その人らしさ」として受け取られる。場が、出来事の意味を決めるのです。
ハンセン病が教えたはずのこと
社会から「負担」とみなした人を、隔離・分離して死を待たせる──この発想を、私たちはハンセン病でさんざん反省してきたはずでした。
らい予防法の廃止と国賠訴訟の確定が断罪したのは、隔離が医学的に不要になった後も続いたという事実だけではありません。「治らない/社会に有用でない」とみなした人を地域から物理的に切り離してよい、という発想そのものでした。隔離は感染対策の名を借りていましたが、実態は、社会が負担とみなした存在を視界の外に置く装置であり、ケアの形をとった排除でした。
感染という根拠が外れても、なお残る発想があります。「世話が要る/もう元には戻らない/社会の手をわずらわせる」人を専門の施設に集め、そこで穏やかに最期まで、という語り。これは隔離の正当化と、そっくり同じ骨格を持っています。違うのは、かつては「危険だから」、今は「その人のために」と語られる点だけで、本人を地域の外に置くという結論は変わりません。むしろ善意の言葉でくるまれるぶん、排除であることが見えにくいのです。
ハンセン病が教えた教訓は、煎じ詰めれば二つだと思います。隔離は当事者が望んだのではなく社会の都合だったということ。そして、回復しないことを地域から切り離す理由にしてはならないということ。回復を前提にしない関わりにこそ、ケアの本質があります。
ただ、隔離批判をそのまま在宅強制に反転させれば、今度は家族を追い詰める別の抑圧になりかねません。だからこそ条件は「地域に開かれた」を外さない。排除でも放置でもない第三の道を設計できるかどうかが、ハンセン病から本当に学んだと言えるかの試金石なのだと思います。
ひとつのモデル──記憶の外で、なお在宅する
実際に、この答えがひとつの形で実現している例があります。
純粋健忘に近く、新しいことを何ひとつ記憶に刻めない、あるアルツハイマー病の方。週の大半を施設で、一日を自宅で過ごされます。そしてご本人は、自分の家で主婦の仕事をこなしていると思っておられる。ご家族も週に一日付き合われますが、疲弊することなく、本人の尊厳もプライドも保たれています。
ここで保たれているのは、エピソード記憶ではなく、もっと底にある自己の連続性です。手続き記憶も情動記憶も、「自分はこういう人間だ」という人生史的な自己感も、海馬中心の記憶が壊れてもかなり残ります。家事という身体に染み込んだ役割そのものが、その人が自分であることの証明になっている。新しい出来事を一つも刻めなくても、馴染んだ動作の中では迷子になりません。記憶の外で生きながら、役割の中では完全に在宅しておられるのです。
このモデルが希少なのは、たいてい逆になるからです。記憶が失われた人ほど「安全のために」場を一つに固定し、固定された場が施設に倒れ、施設の論理が物語より管理を優先する。この方の場合は、失われたもの(新規記憶)に合わせて環境を狭めるのではなく、残っているもの(役割・自己感・家族との時間)に合わせて場を開いている。順序が、まるごと逆なのです。
広がるために要るのは、大層な制度より先に、二つの転換なのだと思います。訂正しないことを「ごまかし」ではなく尊厳の保持として認める文化。そして、施設側が「預かる」のではなく「その人の生活に間借りさせてもらう」という構え。出たり入ったりしながら最期まで「自分の人生を生きている」と本人が思える場の実例が、何よりの説得力になるはずです。
懐の深さ──介護はテクニックではない
数十年前の田舎には、今なら重症に近い認知症の人でも許容する懐の深さがあったように思います。障害のある人についても同じです。徘徊する人を見かければ誰かが連れ帰り、突飛なことを言う人もそういう人として風景に織り込まれ、「役に立つかどうか」とは別の次元で、人はそこにいてよかった。
それは制度でも技法でもなく、共同体が逸脱をどこまで抱えられるかという、器の大きさの問題でした。「介護はテクニックではない」という一言が、この対話の底をずっと流れていたものを言い当てているように思います。見る・話す・触れるを技術として記述した瞬間、介護は「正しくやれば成り立つ手順」になってしまう。けれど懐の深さは手順ではありませんでした。相手をどうにかしようという意図のない、ただそこに居てよいと認める態度──技法の対極にあるものです。技法は相手を対象にしますが、懐の深さは相手をそのまま受け取ります。
ただ、その許容には光と影がありました。抱えてくれた一方で、布団部屋に十年寝たきりにされた人もいた。統合失調症の人を座敷牢に入れた話も、よく耳にします。共同体の器は、優しさと監視が表裏であり、出られない閉鎖性と背中合わせでもありました。
ですから問いは「昔に帰ろう」ではありません。あの懐の深さを、閉鎖性や恥の構造から切り離して、どう取り戻すか。単純な回顧主義(昔をそのまま懐かしみ、理想化してしまう発想)に陥らず、その良さを再定義すること。ノスタルジーでも進歩主義でもない、第三の作業なのだと思います。
出発点が違う
声をかけられなかった人が荒れていき、少しの関わりで生気を取り戻す。この事実は、二通りに逆の読まれ方をします。
ひとつは「だから声かけは有効だ、もっと正しく実施しよう」という読みです。これが形式的な功利主義の罠だと思います。関わりを効果のある介入として測り、投入量あたりの改善で正当化する。けれどそれは、なぜその人が声をかけられない場所に置かれたのか、という出発点を不問にしています。荒れていたのは病気が進んだからではなく、人として扱われることをやめられたから。その因果を見ずに、悪化した状態を技法で持ち上げて「効果があった」と言うのは、自分で掘った穴を埋め戻して成果と呼ぶようなものではないでしょうか。
もうひとつの読みは、逆です。少しのコミュニケーションで元気になるのは、技法の効能ではなく、その人が最初から関わりを必要とする一人の人間だったことの証明だ、という読み。元気になったのは介入が効いたからではなく、奪われていたものが少し返されたからにすぎません。だとすれば目指すべきは「効く声かけの最適化」ではなく、そもそも奪わない環境のほうです。
同じ現象を、介入の成果と読むか、剥奪の証拠と読むか。出発点が、違うのです。
ユマニチュードに即して言えば、こうなるでしょうか。あの体系の価値は、技法そのものにあるのではなく、「人として扱われていない人がいる」という告発として読んだときにある。見る・話す・触れるが必要だと言わねばならないこと自体が、それが奪われている現実を映しています。ですから技法を正しく実施することがゴールなのではありません。技法を持ち出さなくてもその人が人として扱われている地域──技法が不要になる場所こそが、本当のゴールなのだと思います。
実存的には、当然のこと
実存的に言えば、すべては当然のことです。
声をかける、関わる、その人として扱う。それらは効果があるからするのではありません。相手が一人の現存在である以上、当然そう遇するほかない。功利的な正当化を必要とすること自体が、すでに出発点を失っている証拠なのだと思います。
そして──認知症の方たちもまた、西方浄土の救いを求めておられるのでしょう。記憶を失い、見当識を失い、自己の連続性さえ揺らいでいる人に、なお「救いを求める主体」を認めるかどうか。近代的な見方なら、認知機能が崩れれば救済を希求する自己も失われる、と言いたくなります。けれど、記憶やエピソードのもっと底に、救いへ向かう志向そのものは残る。いえ、エピソードが剥がれ落ちたからこそ、その志向が剥き出しになるのかもしれません。
浄土門の救いは、こちらの能力や行や記憶を一切問いません。親鸞のいう自然法爾──はからいを超えて、向こうから差し向けられる救い。だとすれば認知症は、救済の資格を失う事態ではまったくありません。むしろ自力のはからいが及ばなくなった地点で、他力がそのまま露わになる。臨終来迎の前で、その人が何を覚えているかは、もはや問われていないのです。
そして西方浄土を求めているのは、認知症の方だけではありません。そのかたわらに居る私たちもまた、その人を通して同じ方向を向かされている。声をかけ、触れ、ただ居る──それは技法でも介入でもなく、向こうから来る救いに、こちら側でただ立ち会う作法なのでしょう。臨終の床で人がこちらを向いて開かれているとき、ケアする者とされる者の区別は薄れ、どちらもが西の方を向いている。
映画ができたと聞いて、これを書きました。ユマニチュードを否定したいのではありません。ただ、それが美談として消費される前に、技法の手前にあるもの──場を奪わないこと、地域の懐を痩せさせないこと、そして人が人であることの当然さ──を、もう一度確かめておきたかったのです。技法が不要になる場所へ。その方向への一歩ずつが、結局のところ、現場の仕事なのだと思います。
