2026年6月
昔の田んぼと小川の知恵
なぜ生きものが多かったのか 昔の田んぼや小川には、ドジョウやメダカ、タガメやゲンゴロウ、トノサマガエルやアカガエル、そしてそれを狙うサギやタマシギまで、たくさんの生きものがいました。あれは、ただ「昔だったから」ではありま […]
レビー小体型認知症(DLB)にみられる
睡眠・せん妄の動揺、幻視、前頭葉症状、自律神経症状 ― 病態の整理と治療的アプローチ ― はじめに 本稿は、レビー小体型認知症(DLB)の一症例をめぐる議論を整理したものです。一人の患者さんの一つのエピソードのなかに、睡 […]
中観から看取りの現実へ
空の思想は、ベッドサイドでどう響くのか はじめに ― 一つの問いから始まった対話 唯識(ゆいしき)の思想について、あらためて考えはじめたのが、この長い思索のきっかけでした。「ただ識のみ(唯識無境、サンスクリットでvijñ […]
技法が不要になる介護へ
ユマニチュードを題材にした映画ができたらしい、とテレビで小耳にはさみました。作品名までは聞きとれなかったのですが、その「美談として広まる」気配のほうに、ひとつ引っかかるものがありました。これは、ユマニチュードという技法を […]
症状が、いつか民話になるまで——看取りのベッドサイドで見ているもの
柳田國男を読み返していて、ふと立ち止まりました。座敷童の描写が、レビー小体型認知症の患者さんが語る幻視に、驚くほど似ているのです。薄暗い座敷の隅に、子どもがいる。害をなすわけではなく、いるとなぜか家が栄える。神隠しは、口 […]
診療所の柱に来た燕——巣立ちと自立をめぐって
診療所の出入り口の柱に、今年も燕が巣をかけました。先日、六羽の雛が孵りました。診察に通う患者さんやご家族も、戸口でしばし足を止めて巣を見上げ、表情をやわらげていかれます。看取りの仕事に明け暮れる日々のなかで、この小さな命 […]
太棹の一撥が腹に届くまで——文楽から、人間の寄る辺なさへ
子供だましではなかった人形劇 文楽——近松門左衛門に代表される人形浄瑠璃——を、西洋の人形劇のような子供向けの余興だと思っている人は、案外多い。けれど、この芸能が日本で熟していった背景を辿ると、まったく逆の像が立ち上がっ […]









