未完の馬とレクイエム ― 看取りのそばで考えたこと
看取りというと、血圧が下がり、呼吸が弱まり、心臓が止まる――そんな最後の数時間を思い浮かべる方が多いかもしれません。けれども長く在宅医療に携わっていて思うのは、看取りの本体はもっとずっと手前から始まっている、ということです。
若いころにできていたことが、ひとつ、またひとつとできなくなっていく。歩けていた人が歩けなくなり、好物が食べられなくなり、長く話すことが難しくなる。一度手に入れた力を、順番に手放していく。その長い過程を、ご本人とご家族がどう受けとめていくか――それこそが看取りなのだと思います。モニターの数字は、その最後の数行を映しているにすぎません。
先日、ある対話のなかで、明治から昭和の日本の洋画家たちの話になりました。
当時、結核は若い人の命を奪う「不治の病」でした。画家たちのなかにも、死期を知らされながら描き続けた人が大勢います。中村彝(つね)という水戸出身の画家は、結核と闘いながら、最晩年には限られた色だけで、静かで深い肖像画を描きました。派手な色を使う体力がなかったから、とも言えます。けれどその制約のなかで描かれた絵は、百年たった今も見る人の心を打ちます。
北海道の農民画家・神田日勝(にっしょう)は、32歳で急逝しました。絶筆となった「馬」の絵は、頭から胴の半分までは毛艶まで完璧に描き込まれているのに、後ろ半分は板のまま、ぷつりと途切れています。彼は、描けるときに描ける部分を仕上げきる、という描き方をしていたのです。だから絵は途中で終わっても、描かれたところまでは完成していました。
音楽にも同じことがあります。バッハの最後のフーガは、自分の名前を旋律に織り込んだあたりで楽譜が途切れています。モーツァルトのレクイエムも、「涙の日」の8小節目で筆が止まりました。面白いことに、誰かが書き足して「完成」させた演奏よりも、途切れたところで音を止め、沈黙をそのまま聴かせる演奏のほうが、しばしば深く心に残るのだそうです。
人の一生も、そういうものかもしれません。
やり残したことのない人生など、おそらくありません。誰の人生も、どこかで途切れます。けれど、途切れていることは、失敗ではないのです。一日一日を、そのときできる形で仕上げながら生きてきた人の人生は、どこで終わっても「未完の下絵」にはなりません。日勝の馬のように、描かれたところまでが、その人の完成です。
そして、遺されたご家族のこと。
亡くなったご本人の問いは、死とともに閉じます。けれどご家族は、「あれでよかったのだろうか」という閉じない問いを抱えて、その後を生きていかれます。悲しみに「卒業」はありません。それでいいのだと思います。途切れた楽譜を無理に書き足さなくていいように、喪失も無理に「乗り越え」なくていい。亡き人との関係を、形を変えながら持ち続けていくこと自体が、ご家族にしか描けない、もうひとつの作品なのですから。
画家や音楽家には、苦しみを作品に昇華する技がありました。私たちの多くは、そんな技を持たない凡夫です。煩悩のなかでもがきながら、なんとか這い出すしかない。けれど、昔の人はそのことをよく知っていて、お通夜やお盆や法事といった「型」を用意してくれていました。技を持たない者同士が、型の力を借りて、ともに悲しみ、ともに受けとめていく。地域の風習やしきたりには、今もその知恵が息づいています。
看取りは、医療だけで完結するものではありません。数字に映らないところで、長い受容の営みが続いています。私たちの診療所は、その営みのそばに、最後まで一緒にいたいと思っています。
