診療所の柱に来た燕——巣立ちと自立をめぐって

診療所の出入り口の柱に、今年も燕が巣をかけました。先日、六羽の雛が孵りました。診察に通う患者さんやご家族も、戸口でしばし足を止めて巣を見上げ、表情をやわらげていかれます。看取りの仕事に明け暮れる日々のなかで、この小さな命の賑わいは、なんとも言えず救われる景色です。

燕は古くから日本人に親しまれてきた鳥で、稲の害虫を退治してくれることから大切にされ、家に巣をつくると縁起が良いと言われてきました。万葉集にも大伴家持が詠んだ一首があります。 Yeahscars

燕来る時になりぬと雁がねは国思ひつつ雲隠り鳴く(大伴家持『万葉集』)

燕が渡って来る季節になると、入れ替わりに雁が北の国を思いながら帰っていく——渡り鳥の交替に季節の移ろいを重ねた、千年以上も前のまなざしです。

関東で見られる燕たち

日本で繁殖する燕の仲間は、ツバメ・イワツバメ・コシアカツバメ・ショウドウツバメ・リュウキュウツバメの五種が知られています。このうち関東で見かける主役はやはりツバメで、人家や駅、軒下にお椀型の巣をかけ、もっとも人に近い野鳥として親しまれてきました。診療所の柱に来たのも、おそらくこのツバメでしょう。 Wbsj

それに並ぶのがイワツバメとコシアカツバメです。イワツバメは腰が白く、ツバメより一回り小さく尾も短い鳥で、ドーム型の巣をかけ、近年は分布を広げる傾向が関東から近畿まで認められています。コシアカツバメは名のとおり腰が赤く、ツバメより一ヶ月ほど遅れて、入口が狭く奥行きのある徳利型の巣をかけます。ショウドウツバメは主に北海道に渡来し、川沿いの崖に集団で穴を掘って営巣します。リュウキュウツバメは奄美・琉球で一年中暮らす留鳥です。 BiodicBluetail

命がけの渡り

ツバメは夏を日本で過ごす「夏鳥」です。秋になると日本列島を南下し、沖縄など南西諸島を経由して、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどの東南アジアで越冬します。春にはほぼ逆のルートをたどり、台湾や沖縄を通って九州から北上してきます。 Oga-izu-swallow

その距離は途方もないものです。標識調査によれば、国内で放鳥された個体の外国での回収例のうち八割がフィリピンからのもので、最長の移動距離は六千キロを超えます。海上は一気に飛び、脳を半分ずつ眠らせる「半球睡眠」によって飛び続けることもできるといいます。数千キロの海を、星と地磁気を頼りに越えていく。そう思って柱の雛を見上げると、この小さな体に課せられた仕事の重さに、思わず息を呑みます。 NoteWeather News

梅雨の親鳥

今年は梅雨どきに孵化したので、親鳥は大雨のなか、濡れそぼちながら空中の小さな虫をかき集めてきます。古人もまた、雨に打たれる燕をよく見ていました。

あまだれにうたれてたるる燕の羽(青畝)
春泥になほ降る雨のつばくらめ(麦南)

垂れた羽、降りやまぬ雨。句の景色がそのまま、診療所の柱の下で繰り返されています。親鳥にとって、雨は情緒ではなく労働の条件です。雛の口を満たすために、濡れながら何百回と往復するのです。

親鳥を見ていると、もちろん惜しみない愛情があります。けれどもそこには、明らかにもう一つの意志が働いているように見えます。早く自立せよ、という促しです。やがて親は雛のすぐそばまで来ても口移しをためらい、餌をわざと少し遠くで示すようになります。甘えを断ち、自分で飛び、自分で獲ることを覚えさせていく。突き放しではなく、限られた時間のなかでの切実な仕込みです。

事情はよくわかります。庭先には蛇の現れる季節になってきました。巣立ちの遅れた雛は、そのまま捕食者の格好の餌食になります。そして秋には、あの数千キロの海が待っている。行きも帰りも過酷な、命がけの長距離飛行を生き延びる体力を、夏のうちに作り上げなければなりません。自立は情緒の問題ではなく、生存の条件そのものなのです。 goo blog

親を失えば、雛も

以前、巣から落とされた成長の遅い雛を保護し、ミールワームなどで育てようとしたことがありました。けれども、うまくいきませんでした。延命は難しいものです。親が死んでしまえば、雛が生き延びるのもまた難しい。人の手は、親鳥の代わりにはなかなかなれないのだと、そのとき思い知らされました。

看取りの現場で日々向き合っていることと、どこか重なります。手を尽くしても、命にはどうにもならない理(ことわり)があります。落とされる雛がいるのも、おそらく親なりの選別なのでしょう。すべてを救えるわけではない——その厳しさを、自然はためらわずに示してきます。

環境という、もう一つの親

そして思うのは、命を支えているのは親の力だけではない、ということです。

以前、この周辺ではコチドリも営巣して繁殖していました。けれども、めっきり数が減ったのか、いつしか来なくなってしまいました。周囲の都市化が進み、彼らが必要とする環境——河原や裸地のような営巣地——が失われていったのです。親がどれほど力を尽くしても、繁殖する場所そのものが消えてしまえば、命はつながりません。環境とは、いわばもう一つの親なのだと思います。

渡り鳥にとっては、なおさらです。日本の環境悪化だけが問題なのではありません。数千キロ先の越冬地でも、市街地の電線や街路樹に集団でねぐらをつくる燕たちは、その土地土地の環境変化にさらされています。渡りの中継地が荒れれば、海を越える旅そのものが立ちゆかなくなる。一羽の燕の生は、日本とアジアの空の、いくつもの土地に支えられているのです。 BuNa

巣立ちの季節に

古人は、巣立ちのあとの空をこんなふうに詠みました。

燕の又かへしくるはるかかな(立子)

飛び立った燕が、はるか彼方からまた返してくる——遠さと、かすかな再会の予感とが、一句に畳み込まれています。

柱の六羽は、まだ巣の縁で身を寄せ合っています。あと幾日かののち、彼らは空へ飛び立ち、やがて海を越えていくでしょう。親の愛情と、突き放す厳しさと、そして彼らを取り巻く環境と――そのすべてが揃って、はじめて一羽の燕は空を渡っていけます。無事に育て、と願いながら、今日も戸口でしばし足を止めています。


2026年6月14日に6羽の子供たちは、巣立ちました。