お盆に寄せて

思い出のなかの人を招く日

お盆が近づくと、白い提灯が下がっている家が目につくようになります。

夕方、往診の帰り道に見かけると、ああ、あのお宅は今年が新盆だったな、と思い出します。数か月前まで、ほとんど毎週その玄関をくぐっていたお宅です。

お盆については、仏教の盂蘭盆会に由来し、そこに日本古来の祖霊信仰が重なったもの、と説明されるのが普通です。それは間違いではありません。ただ、実際にご家族と接していると、そんなに立派な話ではないのではないか、という気がしてきます。

もっと素朴なところに始まりがあったのではないか

お盆は、正月と一組になっています。

昔、他家に奉公していた人が実家に帰れる日は、年に二回しかありませんでした。正月十六日と七月十六日。藪入りと呼ばれた日です。七月十六日は、送り火を焚く日と同じです。

つまり、まず生きている家族が顔を合わせられる日程が先に決まっていた。農作業の切れ目と、奉公先の都合と、その両方が折り合う点が年に二つしか取れなかった。人が集まる日が決まって、そのうえで、その同じ席に、もういない人も招かれるようになった。

そういう順序だったのではないかと思うのです。信仰が先にあって人が集まったのではなく、人が集まる日があって、そこに死んだ人の席が一つ足された。

そう考えると、あの独特の手作りの感じ ── きゅうりに割り箸を刺して馬にする、なすで牛を作る、庭で麻の茎を燃やす ── が腑に落ちます。教義から出てくる作法ではありません。家族が集まった台所で、ありあわせのものでできることをしている。それだけのことのように見えます。

三十三年で終わる理由

もう一つ、そう思わせる習慣があります。弔い上げです。

三十三回忌、あるいは五十回忌で法要を打ち切り、位牌をしまい、その人は「ご先祖さま」に溶け込んでいく。地域によって差はありますが、どこかで区切りが来ることは共通しています。

なぜ三十三年なのでしょう。経典に根拠はありません。

三十三年経つと、その人を個人として覚えている人がいなくなるのです。子はもう老い、孫は顔を知らないか、おぼろげにしか知らない。名前と続柄だけが残って、声や癖や、怒ったときの顔つきは誰の中にもなくなる。そのあたりで、個人としての区別が消える。

もしお盆に呼ばれていたのが霊魂という実体であったなら、覚えている人がいなくなっても、その霊はそのままいるはずです。区切りをつける理由がありません。区切りが来るということは、招かれていたのは覚えている人の記憶のなかにいる誰かだった、ということではないでしょうか。

お盆に帰ってくるのは、思い出のなかの人なのだと思います。

それでも、送る

ただ、素朴な懐かしさだけでは説明しきれないところが残ります。

迎えるだけなら火を焚けば済むのに、送り火も焚きます。長崎では船を作って流し、爆竹を鳴らします。それに、水の子といって、なすやきゅうりを細かく刻んで洗米と混ぜ、蓮の葉に盛って庭や門口に置く地域があります。家の外に別の棚を立てて、そちらには家の中に入っていない人 ── 無縁の霊 ── の分を供える。

来る人と、来ても家には上げない人が、はっきり分けられているのです。

これは懐かしさでは出てきません。ただ、畏れというほど深刻なものでもないのかもしれません。お客として迎えていると考えると、だいたい説明がつきます。お客は来て、もてなされて、帰ります。見送るのが礼儀です。そして、招いていないお客を家に上げることはしない。

死者を客として遇する。そう見れば、やはり素朴な発想の内側に収まっているように思います。

新盆は、少し別のものです

同じお盆でも、亡くなって最初の年だけは、性質がかなり違うと感じます。

葬儀は日取りが急です。連絡が回りきらず、都合がつかず、来られなかった人が必ず出ます。新盆は、日付が前から決まっている二度目の機会です。ゆっくり支度をして、都合をつけて来ることができる。

玄関の白い提灯は、ある意味で看板です。通りから見て、今年はあのお宅だと分かる。招待状を出さなくても人が来られるようにしてある。

そして日本の作法として珍しいことに、新盆は親戚でない人が、招かれなくても喪家に上がれる、ほとんど唯一の機会です。近所の方が線香を上げに来られる。提灯代を包み、家の側は新盆返しをお渡しする。贈り物のやりとりが往復して、喪のあいだ社会の付き合いから一歩下がっていた家が、そこで元の輪に戻っていく。

そういう、たいへん現実的な仕組みが、新盆には組み込まれています。

もう一つ。新盆は、その人が個人として迎えられる最初の盆でもあります。翌年からは、少しずつ「ご先祖」のほうへ混ざっていく。記憶がまだ生々しい年にだけ、別の形が用意されている。先ほどの三十三年の話と、ちょうど両端で対応しているように思います。

お晩に伺うということ

私たちも、新盆のお宅にお参りに伺います。日が落ちてから、夕方の玄関に立ちます。

不思議なことに、ご家族はそのとき、独特の懐かしさを見せてくださいます。悲しみとは少し違う、なんとも言いようのない表情です。

なぜだろうと考えていて、思い当たることがいくつかあります。

あの部屋で弱っていった人を知っているのは、私たちだけなのです。 ご親戚は元気だったころを覚えている。ご近所は外での顔を知っている。最後の数か月を、その家の、そのベッドのそばで見ていた人間は、実はほかにいません。ご家族の記憶といちばん重なる部分を持って入ってくる、唯一の外の人間です。

訪問そのものが、あの日々の再演になっているのだと思います。 夕方の玄関、同じ顔ぶれ、同じ部屋。あの数か月、ご家族には役割があり、やることがあり、一人ではありませんでした。忙しく、眠れず、それでも張りのあった時間です。その身体の記憶が、同じ場面で呼び戻される。お盆という枠は、それを痛みではなく懐かしさとして感じてよいことにしてくれます。

そして、私たちはお返しの外にいます。 近所の方の新盆見舞いは、いただけばお返しをする関係のなかにあります。私たちの訪問はそこに入りません。やりとりでない訪問だから、あの独特の感触になるのかもしれません。

懐かしいと言えるということ

医療者として一つだけ思うのは、懐かしいと感じられるようになっていることには意味があるということです。

懐かしいというのは、その人をもう「失われつつある人」ではなく「いた人」として置けている、ということです。過去の場所に、きちんと座っていただけている。そこまで来るのに、多くのご家族は数か月かかります。

もちろん、まだそこまで動いていないご家族もおられます。同じ玄関で泣かれる方もいらっしゃいます。それはそれで、まだ途中だということで、急ぐ話ではありません。

お盆というのは、そのどちらの方にも、年に一度、同じ形を用意してくれる仕組みなのだと思います。何をすればよいかが決まっている。提灯を出し、火を焚き、迎えて、送る。決まっているというのは、それだけで助けになります。

思い出のなかの人を、一年に一度、家に招く。

そのくらいの、ごく素朴な発想から始まったのではないかと、白い提灯の下がった玄関の前で、毎年思っています。