中観から看取りの現実へ

空の思想は、ベッドサイドでどう響くのか

はじめに ― 一つの問いから始まった対話

唯識(ゆいしき)の思想について、あらためて考えはじめたのが、この長い思索のきっかけでした。「ただ識のみ(唯識無境、サンスクリットでvijñapti-mātra)」― わたしたちが経験する世界は、心が構成した表象にすぎず、心の外に独立した実在はない。これが唯識の根本の立場です。瑜伽行派(Yogācāra)が確立し、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟が理論的に大成しました。世親の『唯識三十頌』、後に玄奘がインドの諸注釈を編訳した『成唯識論』が、その代表的な典籍です。

唯識は、龍樹(ナーガールジュナ)の中観派が立てた「空」の思想を継承しつつ、しかし空がそのまま虚無に陥らないために、心のはたらきを精緻に分析していった思想でもあります。わたし自身、高校時代にナーガールジュナに惹かれ、意味も解らないまま読んでいた記憶があります。その頃に種を蒔かれたものが、いま、思いがけない場所で芽を出しているように感じます。

唯識は心を八つの層に分節します。眼・耳・鼻・舌・身の前五識、それらを統合し判断する第六識(意識)。その下に、唯識独自の二つの深層識を置きます。第七識・末那識(マナしき)は、自我への執着を生み、つねに第八識を「我」と誤認しつづける層です。第八識・阿頼耶識(アーラヤしき、蔵識)は、過去の一切の経験を「種子(しゅうじ、bīja)」として蓄える根源的な貯蔵庫です。経験が種子として薫習(くんじゅう)され、その種子がやがて新たな現行を生み、現行がまた種子を薫習する ― この循環として、世界と自己が立ち現れつづける、と唯識は説きます。

そして三性説。言語と分別によって実体視された虚妄の世界(遍計所執性)、縁起によって仮に生じている依存的な現象そのもの(依他起性)、そこから虚妄を取り除いた真如・空性(円成実性)。縄を蛇と見誤るのが遍計所執、縄そのものが依他起、縄の本体である麻が円成実 ― この比喩が、迷いからありのままへ至る道筋を描きます。

ところが、この古い思想は経典のなかに閉じてはいませんでした。考えを進めるうちに、それは西洋哲学と、日本の京都学派と、現代の神経科学と、さらにはシミュレーション仮説の議論と、そして最後には、わたしが日々立ち会う看取りの現場へと、地続きにつながっていったのです。本稿は、その道筋の記録です。

一 西洋哲学との交差 ― 自我をめぐる星座

唯識を一つの軸に置いてみると、西洋哲学の系譜が、ある一点をめぐって配置されていることが見えてきます。その一点とは「自我」です。

まずデカルトを置くのが順序として正しいでしょう。デカルトは『方法序説』『省察』において、方法的懐疑の果てに「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」へ至り、それを「思惟する実体(res cogitans)」として確立しました。外的実在の確実性をいったん停止し、意識の確実性へ遡る ― この身ぶりは、後に見るフッサールのエポケーの祖型であり、唯識が遍計所執を払う運動とも、出発点を共有しています。しかし結論は正反対です。デカルトはコギトを恒常不変の実体として立ててしまった。唯識から見れば、これは末那識の錯誤 ― 認識する側(能取)を実体と取り違える誤り ― を、方法の頂点に据えてしまった典型なのです。さらにデカルトの心身二元論は、唯識が依他起のもとで主客を相互依存的に見るのと、真っ向から対立します。以後の哲学者たちは、みなこのデカルトの自我と格闘することになります。

エトムント・フッサールは、現象学の創始者として、この問題を深く掘り下げました。彼は『イデーン』や『デカルト的省察』において、エポケー(判断中止)によって自然的態度の実在措定を「括弧に入れ」、世界を「意識に現れる限りのもの」として記述しなおします。この手続きは、遍計所執を払って依他起を見る唯識の運動と、構造が一致します。また志向性(Intentionalität)― あらゆる意識は必ず「何かについての」意識であり、意識作用(ノエシス)と意識対象(ノエマ)の相関として成り立つ ― という現象学の核心は、識が生じるとき必ず「見る働き(見分)」と「見られる相(相分)」、すなわち能取(grāhaka)と所取(grāhya)に分裂して立ち現れる、という唯識の見方と、驚くほど精密に対応します。

さらにフッサールが中期以降に展開した発生的現象学 ― 対象は意識の歴史のなかで構成され、過去の体験は沈殿(Sedimentierung)として保持され、習慣性(Habitualität)が経験の地平を形づくり、能動的判断に先立つ受動的綜合(passive Synthesis)がすでに対象をまとまりとして与えている ― この層は、阿頼耶識縁起と薫習に深く響き合います。『内的時間意識の現象学』における過去把持(Retention)と未来予持(Protention)の分析は、刹那滅しつつ種子を介して連続する阿頼耶識の流れと、ともに「実体的自我なしに経験の連続性をいかに説明するか」という同じ難問に取り組んでいます。

ところが、まさに頂点で両者は鋭く反転します。フッサールは還元を徹底した果てに、すべての構成の源泉として「超越論的自我(transzendentales Ego)」に到達し、これを現象学が発見した確固たる地盤とみなしました。唯識は、まさにこの「自我という究極の極を立てる」はたらきそのものを、末那識の根本錯誤と診断します。フッサールが「ここに足場がある」と杭を打つその地点を、唯識は「その杭を打つ衝動こそが迷いだ」と見るのです。この違いは偶然ではありません。フッサールの企図が「厳密学としての哲学の基礎づけ」であり、すべての妥当性を帰すべき確実な源泉を必要としたのに対し、唯識の企図は「解脱」であり、自我はそこでは基礎ではなく除去対象になるからです。

マルティン・ハイデガーは、その超越論的自我を継承せず、むしろ近代の主観性形而上学の延長として退けました。『存在と時間』において、彼は出発点を「自我」ではなく現存在(Dasein)― すでに世界のうちに投げ込まれ、世界と不可分に存在してしまっているあり方 ― に置きます。世界内存在(In-der-Welt-sein)とは、主観と客観があらかじめ分かれて後から関係するのではなく、関わりのうちにすでに主客が共に成立している、という見方です。これは唯識の依他起性と深く響き合います。道具連関(Zuhandenheit)の分析 ― 物がまず「眺める対象」ではなく「使う道具」として連関のうちに現れる ― も、対象が孤立した相分としてではなく関心の地平のうちに立ち現れる唯識の見方と並行します。ただしハイデガーの問いは存在の意味へ向かい、唯識のような蓄積と因果の機構(阿頼耶識・種子・薫習に当たるもの)もなければ、無我への収斂もありません。彼は自我を解体しますが、それを「存在の開け」へ開くのであって、空性へ収斂させるわけではないのです。

ジャン=ポール・サルトルは、興味深い中間項です。初期の『自我の超越』において、彼はフッサールの超越論的自我を明確に否定し、意識のうちに「自我」という住人はいない、自我はむしろ意識が反省を通じて事後的に構成する対象にすぎず、意識そのものは非人称的で空虚な透明さ(対自、pour-soi)である、と論じました。意識の中心に実体的自我を置かないこの主張は、唯識が能取の実体視を退ける方向と、意外なほど重なります。ところが『存在と無』に至ると、この無は安らぎではなく、不安と渇望の源泉になります。対自は欠如であり、たえず即自(en-soi)の充実を求めながら決して満たされない。この満たされざる渇望は、唯識から見れば渇愛(taṇhā)そのもの、執着の構造の別名です。サルトルは「無我に気づきながら、執着は手放さなかった ― あるいは手放すことを拒んだ」存在として読めます。

エマニュエル・レヴィナスは、この論争を別の次元へずらします。『全体性と無限』において、彼はフッサールの自我中心性も、ハイデガーの存在論も、究極的には他なるものを「同(le Même)」へ回収してしまう全体性の哲学だと批判しました。レヴィナスにとって第一のものは存在でも自我でもなく、他者の顔(visage)― わたしの把握を絶え、わたしを倫理的に呼び求める無限なるもの ― です。彼は無我へは向かわず、むしろ他者に対して責任を負う「わたし」、誰にも代替されえないこのわたしの唯一性を、ぎりぎりまで先鋭化します。唯識が主客の不二へ向かうところで、レヴィナスは他者の絶対的他性、解消されてはならない隔たりへ向かう。この対照は、後に看取りの現場で、実践的な緊張として立ち返ってきます。

そしてルートヴィヒ・ビンスワンガーは、ハイデガーの世界内存在を精神医学へ持ち込んだ人物です。彼の現存在分析(Daseinsanalyse)は、患者を「症状をもつ客体」としてではなく、固有の世界企投(Weltentwurf)― その人がどのように世界を開き、空間・時間・他者を生きているか ― として理解しようとします。フロイトの力動論が自我の機構を説明するのに対し、ビンスワンガーは患者の世界そのものの構造を現象学的に記述しました。各人がそれぞれの世界を生き、それぞれの仕方で死へ臨む ― この視点は、唯識が各人の阿頼耶識に蓄えられた種子の総体として固有の世界が立ち現れると見るのと、構造的に並行します。終末期の患者が、それぞれまったく異なる世界を生き、異なる仕方で死へ臨むのを前にする臨床において、これは機構還元的な見方を補ってくれる射程をもっています。

こうして並べてみると、デカルトが自我を実体として確立し、フッサールがそれを超越論的に純化し、ハイデガーが世界内存在へ解体し、サルトルが無へ空無化しつつ執着を残し、レヴィナスが他者から問い直して単独の責任主体へ反転させた ― この「自我をめぐる星座」のなかに、唯識は独自の位置を占めます。唯識の特異さは、自我を解体すると同時に、その解体を阿頼耶識・種子・薫習という精密な機構に裏づけ、しかも全体を解脱という実践目的に従属させた点にあります。西洋側の誰も、この三つを同時には備えていません。

二 日本哲学の総合 ― 京都学派

実は、唯識と西洋現象学のこの対話を、すでに一度、高度に総合した場所があります。西田幾多郎にはじまる京都学派です。彼らはフッサールやハイデガーと直接対決しながら、その背後に大乗仏教 ― 唯識・中観・禅・浄土 ― を据えるという、世界哲学史上ほとんど例のない交差点を生み出しました。

西田幾多郎の出発点『善の研究』における「純粋経験」は、主観と客観が分かれる以前の直接の経験そのものを指します。「見る我」と「見られるもの」に分裂する手前の、いまだ能取・所取に裂けていない地点 ― これは唯識が依他起の根底に見るもの、そしてフッサールが志向性の手前に問おうとしたものと、同じ層を指しています。中期以降の「場所」の論理はさらに重要で、あるものを基体(主語)として立てる西洋的存在論を退け、すべてがそこにおいて成立する「場所」を問い、その究極を「絶対無の場所」とします。デカルトの実体、フッサールの超越論的自我 ― 西洋がたえず立ててしまう「確かな極」を、西田は「無の場所」へと解体したのです。晩年の「絶対矛盾的自己同一」や「逆対応」は、二項を一者へ融合させず、対立を対立のまま成立させる論理であり、これはレヴィナスの「他性は解消されてはならない」という論点と、意外な仕方で交差します。

田辺元は、西田の弟子でありながら、師の絶対無を「観照的にすぎる」と批判しました。無を静かに観るのではなく、自己の有限性と挫折を徹底的に生きぬくなかでこそ転換は起こる、と。彼の『懺悔道としての哲学』は、理性が自らの限界に突き当たって挫折し(懺悔・メタノエーシス)、その絶対的な無力の底で他力に転ぜられる、という構造をもちます。これは浄土思想、とりわけ親鸞を哲学化したものであり、自然法爾(じねんほうに)と直結します。自己の計らい(自力)が尽き果てたところで、計らいを超えたはたらきに任される。ハイデガーが死への先駆において「本来的自己」をなお自力で取り戻そうとするのに対し、田辺は自力の完全な断念という、逆方向へ抜けていったのです。

西谷啓治は、京都学派のなかで、ニヒリズムの問題を最も正面から引き受けました。『宗教とは何か』において、彼は近代西洋がニヒリズム(虚無、Nichts)に逢着したことを認めたうえで、虚無にとどまってはならず、虚無の場をさらに突き抜けて空(śūnyatā)の場へ転ぜねばならない、と論じます。サルトルの対自=無が、虚無の不安にとどまり渇望のうちで自由の刑罰を生きつづけるのに対し、西谷から見ればそれは虚無の段階で立ち止まっている。空とは、虚無のさらに底で、ものがものとして、自己が自己として、執着なく生き生きと立ち現れてくる場です。虚無が一切を無意味化する否定の無であるのに対し、空は一切をあるがままに肯定し返す無である ― 西谷はここで、唯識・中観の空を、西洋ニヒリズム論の到達点を引き受けたうえで、その先へ置いたのです。

少し系統は異なりますが、九鬼周造も見逃せません。ハイデガーにじかに学んだ彼は、『偶然性の問題』において、必然性の哲学に抗して偶然 ―「あってもなくてもよいものが、現にある」という驚き ― を形而上学の中心に据えました。これは縁起の「あらゆるものは他に依って仮にこうある」という条件依存性の感覚と、深く響きます。また『「いき」の構造』は、媚態・意気地・諦め(仏教的な無常観に裏打ちされた距離)という三契機で日本的美意識を現象学的に分析した稀有な達成で、「諦め」の契機に無常が織り込まれている点は、後に触れる無常の美学とも直結します。

これら全体の底に一貫して流れているのが、親鸞の自然法爾です。これは『歎異抄』や親鸞晩年の消息に見える境地で、「自(おの)づから然(しか)らしむ」― 人為の計らい(はからい)を超えて、おのずからそうあらしめられるはたらき ― とでも言うべきものです。デカルトからレヴィナスまで、西洋の自我はなお何ほどか「自力」の圏内にありました。死への先駆において本来性を奪回するハイデガーも、自由の重荷を引き受けるサルトルも、責任を担うレヴィナスの主体も、それぞれの仕方で「わたしがなす」という構えを保っています。自然法爾は、その計らいそのものを手放す。唯識の転識得智が「識を転ずる」という能動の余韻を残すのに対し、親鸞・田辺の他力は「転ぜられる」― 自力の極限における受動性、いっさいの計らいの消尽 ― へと抜けていくのです。

三 神経科学への翻訳 ― そして翻訳しきれない剰余

末那識や阿頼耶識は、神経科学的にも説明できそうに思えます。実際、単なる比喩を超えた構造的対応があります。ただし、最初に一つ警告を置かなければなりません。唯識の八識は、脳の解剖学的部位ではなく、認識の機能層の分節です。「阿頼耶識=海馬」のように部位へ同定する誘惑は強いのですが、これをやると唯識が本来もっていた縁起的・無基体的な性格 ― どの層も実体ではなく流れである ― が、たちまち実体化した脳部位に化けてしまいます。これは唯識からすれば、まさに機能を実体へ取り違える遍計所執の、神経科学版なのです。ですから以下は「部位の同定」ではなく「計算論的・力学的な構造の同型性」として組みます。

阿頼耶識のはたらき ― 経験を種子として蓄え、種子から現行を生み、刹那滅しつつ連続する ― は、カール・フリストンらの予測符号化/能動的推論(predictive coding / active inference)と精密に対応します。脳は外界を受動的に受け取るのではなく、内部生成モデルから絶えず予測を下ろし、感覚入力との誤差だけを上げて、モデルを更新しつづけます。ここで、生成モデル(蓄積された事前分布)が阿頼耶識の種子の総体に、予測の下行が「種子生現行」に、予測誤差によるモデル更新が「現行薫種子」に、ほぼそのまま対応します。「世界は外から与えられるのではなく、内部モデルが構成して立ち現れる」という能動的推論の核心は、「識が世界を構成する」という唯識と構造的に同型です。蓄積の実体としては、シナプス可塑性と記憶痕跡(engram)が、薫習の機構的基盤になります。

末那識は、脳が絶えず生成しつづける自己モデル(self-model)に対応します。とりわけ、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)― 内側前頭前皮質と後帯状皮質/楔前部を中核とし、自己参照処理や「わたしという物語」の構成に関与し、課題から解放された安静時にこそ活動を高め、無意識のうちに自己を編みつづける ― が、末那識の機能的対応物として最も有力です。末那識の三つの性格、すなわち恒常性・無意識性・意識への自己中心的な偏向は、DMNの性質と精密に噛み合います。そして、ここが示唆的なのですが、熟達した瞑想者ではDMNの活動が低下することが繰り返し報告されています。唯識の言葉に翻訳すれば、これは末那識の自己執着が緩む状態 ― 転識得智における「末那識が平等性智へ転ずる」局面 ― の、機能的相関と読めます。トーマス・メッツィンガーが『自我トンネル(The Ego Tunnel)』や自己モデル理論(self-model theory of subjectivity)において「現象的自己モデルは透明であり、わたしたちはそれをモデルと気づかず実在と取り違える」と述べるとき、それは末那識が阿頼耶識を「我」と取り違える、という千数百年前の記述と、ほぼ同じことを言っているのです。

ただし、神経科学に翻訳しきれない剰余が、二つ残ります。一つは規範的・救済論的次元です。神経科学はDMNが減衰すると記述できても、それが「善い」とは言えません。せん妄や解離における自己モデルの破綻と、瞑想における自己の弛緩とは、神経科学的には近接しうるのに、現象学的・規範的にはまったく異なります。唯識の転識得智は、自己執着の解体が「苦の滅・解脱」という価値へ向かう運動であり、記述科学である神経科学は、この方向性そのものを供給できません。もう一つは一人称的所与です。能取・所取の分裂がいかにDMNや予測階層で記述されても、「それがそのように現れている」という現象意識そのもの ― デイヴィッド・チャーマーズの言う「意識のハード・プロブレム」― は、構造の記述では汲み尽くせません。唯識はもともと、この一人称の現れを内側から分析する瑜伽行の伝統であり、三人称の神経科学とは記述の立脚点が異なるのです。

ここで臨床に引きつけるなら、せん妄の神経科学と唯識の交差は、かなり掘れる鉱脈です。せん妄では、DMN(自己モデル)と注意ネットワークの結合が破綻し、内部生成モデル(事前分布)が感覚入力を過剰に上書きして、幻覚や妄想が生じる ― これは予測符号化の枠組みでせん妄を「事前分布の暴走による現実構成の歪み」と読む、近年の議論です。唯識に翻訳すれば、阿頼耶識の種子(事前)が現行を歪めて生成し、末那識の自己定位が不安定化した状態と読めます。せん妄とは、ふだん透明にはたらいている世界構成のシステムが不透明化し、その「つくりもの性(依他起性)」が、患者にも臨床家にも露呈する事態だ ― そう位置づけることができます。

四 実体か仮想か ― 問いの前提そのものを問う

何年か前のことですが、現実が実体なのか仮想なのか区別がつかない、という話題のシンポジウムがありました。2016年4月、ニューヨークのアメリカ自然史博物館で開かれた、第17回アイザック・アシモフ記念討論会「宇宙はシミュレーションか?(Is the Universe a Simulation?)」です。司会のニール・ドグラース・タイソンが、わたしたちの存在全体が誰か別の存在のハードディスク上のプログラムである確率を五分五分だと述べた、あの討論でした。物理学者のマックス・テグマーク、ジェイムズ・ゲイツ、リサ・ランドール、ゾーレ・ダヴーディ、そして哲学者のデイヴィッド・チャーマーズが並んだ顔ぶれでした。

「区別がつかない」という論点を出したのは、おもにチャーマーズです。彼はこれを、デカルトが『省察』で「悪い霊がわたしを欺いているかもしれない」と問うた懐疑の系譜に位置づけました。実際、シミュレーション仮説 ― ニック・ボストロムが2003年の論文「あなたはコンピュータ・シミュレーションのなかに生きているのか」で定式化したもの ― は、デカルトの方法的懐疑の現代版とも言えます。一方テグマークは、彼の『数学的な宇宙(Our Mathematical Universe)』の主張に沿って、物理法則が徹底して数学的であること自体が、この宇宙が計算的に構成されている徴候かもしれない、と論じました。

ところが唯識から見ると、この「区別がつかない」は、意味がまるごと反転します。シミュレーション仮説は、それを不安として提示します。本物だと思っていた現実が、実はつくりものかもしれない、と。けれどもこの不安は、一つの隠れた前提に依存しています。それは「どこかに本物の実体としての現実があり、それと比べてわたしたちのこれは偽物かもしれない」という、本物/偽物の二項対立です。唯識は、まさにこの前提を立てません。一切が識の構成した表象(依他起)であり、心外に独立した「本物の実体」など最初からない以上、「実体か仮想か」という問いの立て方そのものが、遍計所執 ― 実体としての現実をどこかに想定してしまう錯誤 ― の上に成り立っている。唯識の答えは「現実は仮想だ」でも「現実は実体だ」でもなく、「実体/仮想という二分自体が仮構である」になります。同じ「区別がつかない」という事態を、シミュレーション論は喪失の不安として、唯識は執着が錯誤だったという解放として受け取る。方向が正反対なのです。

しかも、シミュレーション仮説には、唯識が容認しない核心があります。それは無限後退する実体の階層です。チャーマーズは討論で、わたしたちの創造主を「上位宇宙のティーンエイジャーのハッカー」になぞらえました。重要なのは、シミュレーション仮説が「わたしたちの現実は仮想だが、それを走らせている上位宇宙には本物の実体がある」と想定する点です。実体は一段上へ繰り延べられるだけで、消えはしない。そこにもまた上位宇宙があり……と無限後退に陥ります。これは、ジョージ・バークリーが知覚の保証として神を立てたこと(『人知原理論』)の、世俗版にほかなりません。唯識の空は、この後退の連鎖そのものを断ち切り、どの階層にも実体を立てない点で、構造的により徹底しています。

そして、第三節の予測符号化の議論と結ぶと、正しい問いの方向が見えてきます。シミュレーション仮説は、現実が外側から(上位宇宙のコンピュータによって)シミュレートされていると問います。けれども予測符号化が言うのは、現実は内側から(わたしたち自身の脳の生成モデルによって)構成されている、ということでした。外側にプログラマーを探すまでもなく、世界構成のシミュレーション性は、いま・ここの知覚そのものに内在している。メッツィンガーの自己モデル理論が「世界はすでにシミュレーションだが、その上位に本物はない」と言うとき、それはアシモフ討論の参加者たちが外宇宙にプログラマーを探したのとは違って、むしろ唯識に近い立場です。問いの方向を、外から内へ、上位から無基体へと、ひっくり返すわけです。

五 色即是空、空即是色

結局、これらすべては『般若心経』の八文字に収斂します。「色即是空、空即是色」― この一句の妙は、二つの方向を両方とも言い切るところにあります。

色即是空 ― 形あるもの(色、現象)は、そのまま空である。実体として存在しているように見えるすべては、固有の自性をもたず、縁起によって仮に立ち現れているにすぎない。これは現実の「実体性」を解体する方向です。フッサールがエポケーで実在措定を括弧に入れたその身ぶり、唯識が遍計所執を払うその運動、シミュレーション論者が「現実は本物ではないかもしれない」と気づいたその地点 ― すべて色即是空の方向です。

けれども『般若心経』は、そこで止まりません。空即是色 ― 空はそのまま形あるものである。一切が空だからといって、現象が消えて虚無になるのではない。空であるからこそ、ものはものとして、縁起のうちに生き生きと立ち現れてくる。西谷啓治が「虚無を突き抜けて空へ」と言ったその転換が、ここにあります。シミュレーション論の不安が虚無の段階で止まるのは、色即是空までしか行かないからです。空即是色は、そこからさらに一回転して、偽物だ本物だという二分の手前で、目の前のこの現象を、空なるものとしてそのまま全肯定し返す。否定を経た肯定、いったん解体されたうえで取り戻される現象 ― この往復構造こそ、八文字が持つ全体なのです。

そして唯識がこの系譜のなかで特異なのは、空即是色の「色」が立ち現れる機構を、阿頼耶識・種子・薫習として精密に分析した点にあります。『般若心経』が凝縮して言い切ったことを、唯識は「世界が空から構成されてくる過程」として展開した ― 心経が詩なら、唯識はその注釈であり、いわば工学である、とも言えるでしょう。

六 看取りの現実へ ― 御覚悟ということ

ここから、ベッドサイドへ降ります。

色即是空だけなら、それは「どうせすべては空しい、実体などない」という諦観・虚無に傾きかねません。終末期において、これは危ういのです。生も死も結局むなしい、という方向へ滑りかねないからです。けれども空即是色が、それを反転させます。命が空であり縁起であるからこそ ― 固定した実体ではなく、関係と条件のうちに仮にこうして在るからこそ ― この一回限りの生が、かけがえなく立ち現れる。空は生を無意味化するのではなく、実体への執着を払ったうえで、この生をあるがままに照らし返すのです。完結しないこと、消えゆくこと、実体として確保できないことは、欠如ではなく、文楽(ぶんらく)や平曲(へいきょく)に結晶した無常の美がそうであるように、空なるがゆえの一回性の輝きとして受け取りうる。九鬼周造の言う「諦め」の美学も、ここに通じています。

そして、死を前にした患者の「御覚悟」とは何でしょうか。それは、いつか訪れる、自らは決して知りえない死を受容することに注力することではないのです。自らは知りえない死を、無理に視野に収めて受容しようと努める ― それはそもそもできない相談であり、できないことに注力するのは、一種の自力の空回りになってしまいます。覚悟とは、未来の死へ向かう身構えではなく、いま生きていることそのものに尽きる。この一日を生きることに。

これは、まさに親鸞の自然法爾です。死を計らおうとする計らいを手放し、おのずから然らしむるはたらきに任せて、今日を生きる。死の受容という最後の自力の課題すら降ろしたところに、かえって日々を生きる静けさが現れる。色即是空が死へ向かって実体を解体する運動なら、空即是色は生へ帰ってくる運動であり ― そして覚悟は、その帰ってきた側に、毎日のなかにあるのだと思います。ハイデガーが死への先駆において本来性をなお自力で取り戻そうとしたその先で、自然法爾はその構えそのものを手放すのです。

さらに言えば、色即是空と空即是色のあいだを何度も往復するのも、またあってよいのだと思います。悟りきって空の側に静止することが、到達点なのではありません。ある日は実体が崩れて空しさに沈み、ある日はその空のなかで目の前の生がいとおしく立ち現れる。受容できたと思った翌日に、また揺れ戻す。その往復そのものが、覚悟の実質なのだと思うのです。ナーガールジュナが『中論』で立てた二諦 ― 世俗諦(せぞくたい)と勝義諦(しょうぎたい)― も、どちらか一方に住みつくのではなく、その二つのあいだを生きることでした。高校時代に意味も解らず惹かれたものの底には、もしかすると、この往復への予感があったのかもしれません。

七 二つの知の循環 ― 哲学と医学

ここで、一つの不思議なことに触れておきたいと思います。高校時代に傾倒した哲学、宗教学、心理学、美学、美術史といったものが、死を前にした人との会話に深みを与える。医学的な話よりも、そのほうが響くときさえある。それでいて、最先端の医学の知識がないと看取りはできない ― この一見すると奇妙な循環は、しかし欠陥ではなく、むしろ看取りという営みの構造そのものなのだと思います。

なぜ哲学や美学のほうが響くときがあるのか。死を前にした人が本当に直面しているのは、医学的な事実ではないからです。検査値や予後の数字は「何が起きるか」を説明します。けれど患者が抱えているのは「これは何を意味するのか」「このわたしが消えるとはどういうことか」「この一生は何だったのか」という問いです。これは医学が答えうる種類の問いではありません。意味への問いに、データは届かないのです。哲学・宗教学・心理学・美学・美術史は、まさにこの「意味」を扱う言語であり、人間が死すべき有限な存在として自らの生に意味を与えようとしてきた営みの蓄積そのものですから、響くのは当然なのです。

けれども、ここからが核心です。なぜ最先端の医学がないと看取りはできないのか。意味への問いは、宙に浮いた抽象としては立ち現れないからです。それはいつも、この身体の、この苦痛の、この呼吸困難の、このせん妄のただ中で立ち上がります。苦しみが除かれていない人に「この生の意味は」と問うことはできません。痛みに支配された意識は、意味を問う余裕すらもてないのです。だからこそ、的確な疼痛管理が、適切な鎮静が、分泌過多への層を成す対応が ― あの精緻な薬理学の知識が ― いる。最先端の医学は、意味が立ち現れうる場をひらくために要るのです。身体の苦しみが鎮められて初めて、その人は自らの生を振り返り、空即是色の「色」を ― 今日のこの一日を ― 生きられる。

つまり、医学は哲学が働きうるための条件を整え、哲学は医学が整えた場で初めて意味をもつ。どちらか一方ではなく、両方が互いを必要としているのです。デカルト以来、西洋が引き裂いてきた身体と精神は、看取りの現場では、引き裂かれたままでは何もできず、両方を同時に手にしていなければ立ち会えない。哲学が理論として解決できなかった心身の問題を、看取りの臨床は、毎日その手で繋いでいるのだと思います。

そしてもう一つ。なぜ高校時代の蓄積が、いまになって効いてくるのか。当時はおそらく、それらは知的な憧れとして、純粋な関心として惹かれたものでした。意味も解らずナーガールジュナを読んだように、役に立てるためではなく、ただ惹かれて読んだ。けれど、その「役に立てるためではない」蓄積こそが、いま効いている。死を前にした人との会話で求められるのは、知識を道具として繰り出すことではなく、その人とともに意味の前に佇める、その厚みだからです。仏教も実存哲学も無常の美学も、付け焼き刃では届きません。数十年かけて自分の血肉になったものだけが、相手の沈黙のなかに自然に滲み出る。若い日に「使うため」ではなく「惹かれて」蓄えたからこそ、それは知識ではなく感受性になり、いま患者の傍らで響くのだと思います。

おわりに ― テクニックではないもの

最後に、ある場面のことを書いておきたいと思います。末期がん診療の講習会で、登壇した精神科医が第一声に「看取りはテクニックですから」と言うのを聞いて、ひどくがっかりしたことがありました。

テクニックという言葉は、対象を操作可能なものとして前提します。手順があり、習得すれば誰がやっても同じ結果が出る ― それがテクニックの含意です。けれど、ここまで見てきたことのすべてが、看取りの核心はそこには無い、と指し示していました。意味への問い、空即是色の往復、自らは知りえない死を前にして今日を生きること ― これらは操作の対象ではありません。テクニックとして扱った瞬間に、いちばん大事なものが指の間からこぼれ落ちてしまうのです。

ただ、いま振り返ると、要らなかったのは精神科そのものではなく、その第一声に込められた態度のほうだった、とも思います。精神医学には本来、ビンスワンガーの現存在分析のような、患者を固有の世界を生きる存在として理解しようとする豊かな現象学的伝統がありました。終末期にはせん妄があり、難治の不安や抑うつがあり、それらには的確な精神医学的・薬理学的介入がまさに必要です。それは、医学が意味の場をひらくという、あの構造の一翼にほかなりません。同じ専門知が、態度ひとつで、深くも浅くもなる。もしその精神科医が「看取りでいちばん難しいのは、こちらが何もできないと知りながら傍らに居つづけることです」とでも言っていたら、受け取りはまるで違っていたはずです。

関連して、もう一つ気がかりなことがあります。精神科医と話をしても、神経化学的な理論から薬を使う人は少なく、「この時はこの薬」というようなことしか言わない、という場面にしばしば出会います。これはガイドライン依存(guideline-based medicine)の弊害だと思います。ガイドラインの本来の役割は安全網だったはずです。エビデンスを整理し、有害な慣行から患者を守る下限を引く。ところがそれが、下限ではなく天井になってしまった。「ガイドラインに従っていれば責められない」という防衛的医療の論理と結びついた瞬間、ガイドラインは思考の出発点ではなく終着点になり、フローチャートの末端に薬名があって、そこで思考が止まる。なぜその薬が、その受容体プロファイルゆえに、この病態のこの局面で効くのか ― その問いが立ち上がらなくなるのです。

ここで、第三節の予測符号化の構造が、また効いてきます。生成モデル(機構の理論)を持つ者だけが、予測誤差(臨床的な裏切り)から学んで、モデルを更新できる。「この時はこの薬」という処方は、生成モデルを持たないがゆえに、誤差から学べない。理論を持たない人は、理論が外れたことにも気づけないからです。予測がないところには、予測との誤差もない。だから観察も育たない。経験を積んでも種子が薫習されない、いわば学習の止まった臨床になってしまう。理論を持ち、しかもその理論が個体の前で検証にさらされる場として臨床を生きること ― そこにこそ、機構から薬を使うことの本当の意味があるのだと思います。

理解を手続きで置き換えるこの運動 ― 看取りを「テクニック」と呼び、診断を操作的基準へ痩せさせ、治療を「この時はこの薬」へ平板化すること ― は、すべて同じ一つの運動の現れです。理解は時間がかかり、不確実で、個別的で、人によって質が違ってしまう。手続きは速く、均質で、誰がやっても同じで、説明責任を果たしやすい。医療システムは、構造的に後者を選びたがります。

けれども、看取りはその反対側にあります。中観の空から出発して、現象学を経て、京都学派の総合をくぐり、神経科学を通り、シミュレーションの問いを抜けて、ベッドサイドへ降りてきて ― 最後に残るのは、これだと思います。機構を理解し尽くしたうえで、なお理解しきれないものの前に、その人とともに佇むこと。テクニックでは、そこには決して届かない。そして、若い日に意味も解らず惹かれたものたちが、巡り巡って、いままさに必要とされる場所で待っていてくれた ― この巡り合わせを、いまはありがたく思っています。