祭りの季節に

通り慣れた道に、祭りの看板

よく通る集落に、何か所か祭りの看板が出ていた。夏である。田舎の小さな村にも、祇園祭の季節がめぐってきた。通り過ぎるだけだったその看板に、ふと足を止めて考えてみたら、思いのほか深いところまで連れていかれた。備忘を兼ねて、その道行きを書きとめておく。

なぜ、集落ごとに祭りがあるのか

まず不思議に思ったのは、これほど小さな村々が、めいめいに自前の祭りを持っていることだった。大きな神社が一つあって、そこから配られたのではない。集落ごとに、それぞれの祭りがある。

答えは、日本の神が本来「土地の神」だったことにある。産土神(うぶすながみ)、氏神、田を潤す水源の神、山の神——いずれも遠くの大社に鎮まる神ではなく、その集落の生活圏に宿る、きわめてローカルな存在だ。だとすれば、祭りが集落ごとにあるのは当然の帰結になる。よその集落の神を祀っても、自分の田の水は守られない。自分たちの神を、自分たちで祀るほかない。

祀る神の範囲、祀る人の範囲、生活の範囲が、ぴたりと重なっている。祭りとは、その共同体が「自分たちは一つのまとまりだ」と確認する営みであり、単位が集落なのは、共同体の実体が集落だからにほかならない。

夏に祭りが集中する理由

そもそも、なぜ夏なのか。旧暦六月から七月にかけての盛夏は、食物の腐敗、水系・虫媒の感染症、稲を脅かす害虫や台風——生命と生業の危機が重なる季節だった。医学のなかった時代、これらの災厄は「祟り」や「疫神」の仕業と観念され、その鎮めが祭りの原動力になった。

祭りには大きく二つの系統がある。疫病をもたらす神を盛大に「祀り上げて」逆にその力で守ってもらう御霊会(ごりょうえ)の系統と、あの世から帰る死者の霊を迎え・饗応し・送り返す盆の系統。夏はこの両方が重なる。疫神を祓う祇園系と、祖霊を迎える盆系とが、同じ盛夏に折り重なっているのだ。

神輿と山車——役割が違う

祭りの主役、神輿と山車も、実は対照的な論理を持っている。

神輿は、神が乗って出る「動く神座」だ。ふだん本殿に鎮まる神を一時的に遷し乗せ、氏子の territory を巡幸させる。神が地域をひとめぐりして災厄を祓う。激しく揺すり、ぶつけるのは乱暴に見えて、実は神の力を「揺さぶって活性化させる」魂振り(たまふり)の技法だという。荒ぶらせることで神を喜ばせ、その横溢した力を地域に及ぼす。

山車は逆だ。神を「招き寄せ、留める」装置——依代(よりしろ)である。高く目立つ標を目印に神が降りてくる。豪華な装飾も囃子もからくりも、招いた神をもてなす饗応であり、まず神に見せるための奉納だ。

神輿が神を乗せて動き、山車が神を招いて留める。多くの祭りで両者が併存するのは、「迎え・もてなし・送る」の流れを役割分担して演じているからだった。

借り物の衣裳、土着の中身

ここで一つ、腑に落ちたことがある。小さな村の鎮守が「八坂神社」を名乗り「祇園祭」をしていても、それは京都・八坂神社の出先だからではない。疫神を祓いたいという在地の願いが、祇園という洗練された「様式」を借りて表現されているのだ。

神は自分たちの土地の神のまま、衣裳だけを大社から借りている。日本の祭りは「中央から地方へ配られた」のではなく、「無数の土地からめいめいに立ち上がり、様式の面で緩やかにつながった」ものなのだ。

お盆もそうだった。「盆」は仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)に由来し、名前も枠組みも仏教から来ている。けれど、祖霊が家に帰ってくるという感覚、迎え火・送り火、盆踊り——中身の多くは経典に書かれていない、日本古来の祖霊信仰だ。仏教という外来の名を借りて、土着の祖霊祭祀が形をとった。祇園とまったく同じ構造がここにもある。

(余談。「祇園」の「祇」は、ネ(しめすへん=神事の偏)に「氏」。神を意味する系統の字で、「品」とは何の関係もない。字が似て見えるだけの偶然だった。そして今年も来年も日付がずれるのは、担い手の休みに合わせて期日を動かすから。伝統の崩れではなく、生活に合わせて生き延びる姿である。)

序列を、かたちにする

祭りは平等な祝祭に見えて、実は精緻な序列の体系でもある。宮座(みやざ)の家格、若者組の年齢序列、花形の役と裏方、町内間の巡行順——誰が上座に座り、誰が神に近づき、どの町が先を行くか。それはそのまま共同体の構造の表現だ。祭りという非日常の場で、目に見えない秩序を「かたち」に落とし込み、全員に確認させ、次世代へ引き渡す。

同時に、日常をひっくり返す無礼講の側面もある。だがそれは秩序の否定ではなく、一時的に解いてまた強く結び直すための仕掛けだ。緊張を解き放ち、また結ぶ——その振幅こそが祭りの力なのだと思う。

そして、いちばん深いところ

ここまで来て、はっと思ったことがある。

祭りに割かれる膨大なエネルギー——収穫を割いて供物にし、労力を注いで山車を作り、日常を止めて熱狂する。一見、無意味で、お金にもつながらない。けれどそれは決して無駄ではなかった。共同体の連帯を身体で鋳直し、目に見えぬ災厄を制御可能な「かたち」に変える、切実な機能を果たしている。

そしてその駆動力は、高度な教義ではなく、もっと古い——畏れ、悼み、集団で身体を同調させたときの高揚、他者と情動を分かち合ったときの結びつき。理性より古い、情動をつかさどる脳の働きだ。人は「意味があるから」祭るのではない。まず身体と情動が動いてしまい、意味は後から言葉で与えられる。教義や由緒書きは、たいてい後付けなのだ。

だからこそ祭りは、教義の配布を待たず、土地ごとに自然発生できた。人間という生き物が共通して持つ情動の基盤があれば、似た営みが各地で並行して立ち上がる。

そして面白いのは、この原理が過去のものではないことだ。バレンタインも恵方巻きもハロウィンの仮装も、発端は商業的な仕掛けだった。けれど人々の生活に入るなり、企業の意図を離れて独自の作法と意味を帯びていく。母体が地縁から関心縁へ移り、外来要素の担い手が大社から商業資本へ変わっただけで、「共有する感情が、反復されるかたちを見つけて定着する」核心は、今この瞬間も作動している。民俗は、生きて生成し続けている。

送ることも、また祭りだった

最後に、これは私自身の仕事に返ってくる話だ。

臨終の作法、通夜、葬送から法要へと続く段取り。それらも医学でも経済でも説明しきれないが、無意味どころではない。遺された者の情動を処理し、悲嘆を共同体で受けとめ、死者を秩序ある形で「送る」。祭りが疫神を、盆が祖霊を「迎え・もてなし・送る」あの三段構えと、葬送の構造は驚くほど相似だ。駆動力が、悼み・畏れ・別れがたさという素朴な情動である点も、まったく同じ。

葬送もまた、土地ごと・家ごとに固有のかたちをとり、外来の枠を借りながら在地の心性に根ざし、そしていま——家族葬、直葬、SNS上の追悼——現代の生活のなかで変わり続けている。

祭りも弔いも、根はひとつだ。人間という生き物が、情動をつかさどる古い脳をもって世界に向き合うかぎり、採算に合わない、意味に還元しきれない営みを、これからも生み出し続ける。

通り慣れた道の、あの祭りの看板。その向こうに、疫病を恐れ、祖霊を待ち、共同体を結び直し、そして死者を送ってきた人々の、途方もなく長い情動の連なりが見える気がした。次に通るときは、少しだけ景色が違って見えるだろう。