この時期に寄せて
そばに居るということ
── 看取りをめぐる、千年の話
はじめに
これは、看取りについての小さな読み物です。
いま病気とともにおられる方、そのご家族、そして大切な方を見送られた方に向けて書きました。何かをお教えしようというものではありません。「こうすべきだ」ということは、ひとつも書いていません。
書いてあるのは、人が千年のあいだ、死にゆく人のそばでどんなふうに過ごしてきたか、という話です。
どうか、気の向いたところだけ拾い読みしてください。読まなくても、何も困ることはありません。
一 千年前にも、同じことをしていた人がいます
いまから千年ほど前、平安時代のことです。源信というお坊さんが、亡くなろうとしている人のそばで何をすべきかを、細かく書き残しました。
そこに書かれていることを読むと、少し驚かされます。
部屋をどう整えるか。どちらを向いて寝かせるか。誰が付き添うか。何を話しかけ、何を話しかけないか。

そして、こういう工夫が記されています。仏像の手に五色の糸を結び、その端を、亡くなろうとしている人に握ってもらう。
信仰の話としてではなく、ただそのままに読んでみてください。**手に、何かを握らせている。**目に見えない救いを語るのではなく、握れるものを渡している。
いま、わたしたちがご家族に「手を握ってあげてください」とお伝えするのと、していることは同じです。理屈があってそうするのではありません。千年前の人も、理屈なしにそうしていました。
もうひとつ、当時の記録に面白いものがあります。二十五人の人たちが集まって、「お互いの最期に必ず立ち会おう」と約束をした。
今日そばに居る人が、明日はそばに居てもらう側になる。そういう約束です。
二 昔は、村のみんなが知っていました
もう少し時代が下って、江戸時代のころ。
このころの看取りには、専門家がいませんでした。かわりに、村の人がみんな、だいたいのことを知っていました。
人が弱ってきたら誰を呼ぶか。最期が近づいたらどうするか。亡くなったあと、何をどの順番でするか。子どもも、その様子を見ながら育ちました。
そして、亡くなった人は遠くへ行ってしまうとは考えられていませんでした。近くの山にとどまっていて、お盆と正月には帰ってくる。何十年もかけて少しずつ個人の輪郭を失い、やがて「ご先祖さま」という大きなまとまりに溶けていく。

忘れられるのではありません。景色のようになっていく、という感じでしょうか。
この話は、あとでもう一度出てきます。
三 一度、忘れられた時期がありました

明治になって、日本にはたくさんの新しい制度が入ってきました。そのひとつが、お医者さんが死亡を確認して書類を書くという仕組みです。
それまでは、死は「みんなで見て、みんなで決めるもの」でした。息が止まって、体が冷たくなって、顔つきが変わって、周りの人がそれを認める。特別な資格は要りませんでした。
新しい制度では、資格を持った一人が、書類の上で決めることになりました。
制度としては、これで良かったのだと思います。ただ、ひとつだけ、うまく引き継がれなかったものがありました。
「そばに居る」という役目です。
お医者さんの仕事には、治すことと、亡くなったことを確認することが入りました。そばに居続けることは、入りませんでした。
そしてもう一つ、大きな変化が起こります。昭和の半ばごろまで、人はほとんど家で亡くなっていました。それが一九七〇年代に逆転し、平成に入るころには、八割以上の人が病院で亡くなるようになります。
病院は、命を助けるための場所です。よくできた場所です。ただ、死にゆく人のそばに居ることは、そもそも仕事として決められていませんでした。
その結果、不思議な時代がありました。

死にゆく人のそばに居る役目を、誰も任されていない時代です。
お医者さんは治療が終われば役目が終わる。お坊さんは亡くなってから呼ばれる。ご家族は、経験を教えてくれる人をもう持っていない。
看護師さんだけが、いちばん長くそばに居ました。けれどそれは、仕事として決まっていたからではありませんでした。
四 いま、家に戻ってきたもの
いま、在宅での看取りが少しずつ増えています。
これは「昔に戻った」のではありません。昔とは違うものが、新しく作られたのです。
昔の家には村がありました。近所の人が集まってきました。いまは、集まりません。
だから、かつて村がしていたことを、訪問看護師や医師やケアマネジャーが、いくらか肩代わりしています。ご家族と一緒に、家の中にいます。台所を通り、仏壇の前を通り、生活の中に入れていただいています。
「寄り添う」という言葉がよく使われます。けれど、わたしたちはこの言葉に少し落ち着かないものを感じます。
「寄る」というのは、別の場所にいる人が近づいてくる、という意味だからです。
実際にしていることは、そうではないように思うのです。近づいていくというより、いつのまにか同じところに居させてもらっている。
うまい言葉が見つかりません。強いて言えば、同じほうを向いて座っている、という感じでしょうか。
五 「受け入れなくていい」ということ
ここからが、いちばんお伝えしたいことかもしれません。
病気のことを知らされたあと、多くの方が「受け入れなければ」と思われます。ご家族も、「本人はまだ受け入れていない」と気を揉まれます。

そのように考えなくて大丈夫です。
かつて「死を受け入れるには五つの段階がある」という考え方が広まりました。否認して、怒って、取り引きして、落ち込んで、最後に受け入れる、という順番です。
この考え方は、死について話してもよいのだという空気を作った点で、大きな功績がありました。ただ、あとになって分かってきたことがあります。
人は、その順番どおりには進みません。
行ったり来たりします。午前中に葬儀の話をした方が、午後には来年の旅行の計画を立てられる。それは混乱ではありません。心が、耐えられる分だけ本当のことに触れて、あとは日常に戻る。そういう仕組みが働いているのです。
行ったり来たりすること自体が、まっとうな働きです。
そして、最後まで受け入れないまま亡くなる方がおられます。怒ったまま逝かれる方も、「絶対に治る」と言い続けて逝かれる方もおられます。
それは失敗ではありません。
「受け入れる」ということを目標にしてしまうと、受け入れられない人が、うまくできなかった人になってしまいます。そんなことはないのです。
日本には昔から、こういう感覚があったように思います。小林一茶という俳人が、幼い娘さんを亡くしたあとに詠んだ句があります。
露の世は露の世ながらさりながら
この世がはかないものであることは、分かっている。頭では分かっている。分かったうえで、それでも。
この「さりながら」が、人のほんとうの姿だと思います。分かっていることと、受け入れられることとは、別のことなのです。
六 そのときそのときが、それ自体で満ちている
道元というお坊さんが、面白いことを言っています。
**薪が燃えて灰になる。けれど、灰は薪の「後」ではない。**薪は薪として完結していて、灰は灰として完結している。
分かりにくい言い方ですが、これを日々のことに置き換えると、こうなります。
「あと何か月」と言われると、今日という日が「まだ死んでいない日」になってしまいます。引き算の日々になってしまう。
けれど、ほんとうは今日は今日として、それだけでひとつの完結した日です。何かの途中ではありません。
在宅で過ごしておられる方が、ふっと落ち着かれる瞬間があります。庭の花の話をされたり、昔の仕事の話をされたり、お孫さんの話をされたり。
あれは、今日が今日として立ち上がった瞬間なのだと思っています。
わたしたちがしていることの多くは、実はそのお手伝いにすぎないのかもしれません。

七 亡くなったあとのこと
ここからは、見送られたご家族へ。
亡くなったあと、多くの方が「ちゃんと悲しめているだろうか」「いつまでもこんなふうでいいのだろうか」と思われます。
期限はありません。そして、終わらせなくて大丈夫です。
近年、たくさんの研究が行われました。そして分かったことがあります。多くの方は、専門的な手助けがなくても、時間をかけてご自分の形になっていかれます。「悲しみを乗り越える作業」をしなければ具合が悪くなる、というのは、思われていたほど確かなことではありませんでした。
では、時間が経つと何が起こるのか。
消えるのではありません。沈んでいくのです。
亡くなった直後は、思い出すたびに胸が動きます。目の前に、はっきりと立っている感じがします。
何年か経つと、それが少しずつ下のほうへ沈んでいきます。忘れたわけではありません。むしろ逆で、思い出そうとしなくても、いつもそこにあるという状態になっていきます。
これを、風景のような思い出と呼んでみたいと思います。
風景というのは、見つめる対象ではありません。そこから世界を見ている場所です。亡くなった方は、いつのまにか、そういう場所になっていかれます。
先ほど、江戸時代の「ご先祖さまに溶けていく」という話をしました。あれと同じことだと思います。**個人としての輪郭がゆっくりほどけて、景色の一部になる。**なくなるのではなく、見えなくなるほど近くなる。
そして大事なことは、この沈んでいく動きには、終わりがないということです。
亡くなった時刻は決まります。書類も出ます。そこは終わります。けれど、沈んでいくほうは終わりません。
ですから、もし「いつまでも終わらない」と感じておられるなら、それは何かがうまくいっていないのではありません。終わらないのが、ふつうなのです。
八 仏壇に話しかけてもいいのです
仏壇の前で、亡くなった方に話しかける。写真に向かって報告をする。
「いつまでもこんなことをしていてはいけない」と思われる方がおられます。
そんなことはありません。
かつて西洋の考え方では、亡くなった人への思いは「断ち切るべきもの」とされていました。いまは、そう考えられていません。関係は続くのが自然である、というほうへ変わりました。
そしてこの見直しのきっかけのひとつは、実は日本のご先祖供養の習慣を、外国の研究者が調べたことでした。
日本には、亡くなった方との関係を切らないでおく作法が、もともとあります。お盆があり、お彼岸があり、命日があり、仏壇があります。
切れていないものを、切れたことにする必要はありません。
九 わたしたちのしていること
最後に、在宅に関わる者として、していることを書いておきます。
**そばに居ること。**これだけは、千年変わっていません。何かうまいことを言うためではなく、ただ離れないために伺います。
**これから何が起こるかを、前もってお伝えすること。**知らないまま迎えるのは、不安が大きすぎます。
**部屋と体を整えること。**痛みを取ること。体を清潔にすること。誰がそばに居るかを一緒に考えること。そして、手を握っていただくこと。
**村のかわりを、少しだけすること。**昔は近所の方がしていたことを、いまは職業の者が肩代わりしています。
**見届けた者として、そこに居ること。**その方の最期に立ち会った人間がいた、という事実を残すこと。
そして、意味を語らないこと。
最後のこれは、少し説明が要ります。
「なぜ自分がこんな目に」「この苦しみに意味はあるのか」── そういう問いをいただくことがあります。
わたしたちは、その答えを持っていません。
持っていないのに、それらしいことを言うのは、かえって失礼だと思っています。「無常ですから」「執着を手放して」といった言葉は、言葉としては正しくても、いまその場に持ち込めば、静かにしていなさいと言うのと変わらなくなってしまいます。
**答えを持たないまま、そばに居続ける。**それが、わたしたちにできる精一杯です。
おわりに
看取りというのは、亡くなるまでの日々と、亡くなる瞬間と、そのあと思い出が景色に変わっていくまでの、長い長い一続きのことだと思っています。
書類の上では、亡くなった時刻で区切られます。けれど実際には、どこにも切れ目はありません。
そして、亡くなられたあと、近くを通りかかったときに、ふとご自宅に伺うことがあります。しばらく思い出話をして、帰ってきます。
それだけのことです。
この読み物は、在宅での看取りに関わる者が、これまでの歴史をたどりながら考えたことをまとめたものです。ここに書いたことは、どれも「こうしなさい」というものではありません。
気持ちのつらさが長く続くとき、眠れない日が続くとき、どうしても身動きが取れないと感じるときは、どうぞ遠慮なくお声をかけてください。話を聞くことはできます。

